徳島地方裁判所 昭和45年(わ)200号 判決 1976年7月01日
主文
被告人を懲役四月に処する。
ただし、この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(本件犯行に至るまでの経過)
一、被告人は、日本専売公社徳島地方局(以下地方局と略称する)管下の同公社徳島工場(以下工場と略称する)に勤務する職員で、かつ全専売労働組合(以下全専売労組と略称する)の青年活動家の組織である全専売徳島工場反戦青年委員会(いわゆる職場反戦委員会)の構成員(以下職場反戦メンバーと略称する)であるが、昭和四四年一一月一六日東京都において行なわれた佐藤首相訪米阻止デモに被告人と共に参加した右徳島工場の職員で職場反戦メンバーである岡茂樹、坂東悟及び宮本吉一の三名が、警察官にその公務を妨害した疑いで逮捕され、引続いて二〇日間勾留され、同人らの無届または不承認欠勤が長期間続いたため、工場長から地方局柳原春義局長に対し岡茂樹ら三名の懲役処分(以下処分と略称する)申請がなされ、昭和四四年一二月末ころ地方局懲戒委員会が開かれ、同人らの行為は日本専売公社法二五条、日本専売公社職員就業規則(以下就業規則と略称する)四条(職務専念義務)、同五条(秩序保持義務)、同六条(信用失墜行為の禁止)に違反するとして、日常の勤務成績をも考慮のうえ、岡茂樹に対し停職三ケ月、坂東悟、宮本吉一の両名に対し各本俸の一〇分の一を三ケ月減給するとの処分を諮問し、柳原地方局長は諮問どおりの処分を決定して、同年一二月二八日右三名に処分書を手渡した。右処分に対し、職場反戦委員会(委員長宇野由子)は全専売労組徳島地方部の執行部に処分撤回闘争をするよう申入れたが、同組合側は岡茂樹ら三名が佐藤訪米阻止闘争に参加する前に、右行動に参加して問題が派生しても組織としては責任を持てない旨申し入れてあつたうえ、組織として岡茂樹ら三名を東京に派遣したものでないから、右三名の処分撤回闘争をする意思がない旨通告したので、やむなく職場反戦委員会独自の立場で処分撤回闘争をすることとなり、被告人及び宇野由子、岡茂樹、宮本吉一、坂東悟ら職場反戦メンバーは、昭和四五年一月六日以降、処分は不当であるから撤回せよと書いたゼツケンを背中につけて就労し、処分不当の理由を書いたビラを、工場の職員らに出勤時や退社時に同工場の入口付近で配布したり、同工場の食堂の放送設備を利用して処分の不当であることを工場の組合員らに訴える情宣活動を展開し、更に前記岡茂樹、坂東悟、宮本吉一らの直接の上司である後久原料加工課長、宇山巻上課長及び三好包装課長に対し処分の不当性を訴え、同課長らに公開質問状を提出したり、処分が不当であるから撤回する旨記載されている誓約書に署名押印を要求したりして処分の不当であることを訴え、また同年二月六日には工場の山内工場長とも交渉を持つて処分の撤回方を要求したが、いずれも自分らは処分権者でないと言つて処分撤回のため活動することを拒否された。そこで地方局の柳原局長と交渉すべく被告人らの職場反戦メンバーは、委員長の宇野由子が代表してその後二週間にわたつて地方局長秘書や加藤等地方局職員課長らに面談したり、柳原局長宅を訪れたり、同人宅に電話したりして柳原局長との交渉を申入れたが、いつも不在であるとの理由で拒否された。同年二月七日朝、宇野由子ら職場反戦メンバー一二、三名が工場とは別の場所にある地方局構内で不当処分撤回要求を内容とするビラを地方局職員に配布していたところ、無許可であつたため、加藤等職員課長から注意された。同日午前九時五〇分ころ、右職場反戦メンバーの者はヘルメツトを被り、職場反戦の旗を押し立てて地方局構内で不当処分反対のシユプレヒコールをしてから、構内をデモ行進して地方局庁舎(以下庁舎と略称する)の外周を一巡し、正面玄関から集団で庁舎内に入り、途中階段のところで、急遽かけつけた加藤等職員課長や武山将博庶務課長ら職員が、被告人らの侵入を阻止するのを押しのけ庁舎二階東側の局長室に押入つたため、加藤職員課長が柳原局長名の退去命令文を掲げかつ朗読して、被告人らの退去を求めたが、退去しようとしなかつたため、やむなく柳原局長宛の処分撤回を議題とする交渉を要求する要望書を加藤職員課長が預ることとしたため、同日午前一〇時一五分ころ被告人ら職場反戦メンバーは引き揚げた。その後同年二月九日宇野由子が右課長に先日預けた局長宛文書についての回答をもらいたい旨電話したが、同課長から「右文書は局長に取継ぐ積りで預つたものでない、処分について交渉を求めたいなら地方局と組合との交渉ルールによるべきであつて個々の従業員と交渉に及ぶ考えはない」旨返事されたため、同年二月中旬ころの午后八時ころ、宇野由子ら職場反戦メンバー数名は監督者訓練後の懇親会が催されている徳島市内の烟霞荘に押入つたこともあつて、同年二月一九日地方局長室において被告人、宇野由子ら職場反戦メンバー一五名と柳原地方局長との交渉が持たれるに至り、加藤職員課長及び工場の職員課長も列席のうえ、地方局の勤務時間後二時間に亘つて交渉が行なわれたが、柳原局長は、「処分のことについての詳細は忘れた、処分撤回は団体交渉の対象でないので不服があれば苦情処理調整会議というものが設置されているからそこへ不服申立てをするよう」との説明を繰返すのみであつたため、処分撤回のための交渉は進展しなかつた。その後地方局側は被告人ら職場反戦メンバーからの交渉要求に応じようとしなかつたばかりでなく、同年二月二八日(土曜日)宇野由子ら職場反戦メンバー数名が地方局の正門及び西門付近構内で二月七日同様ビラを配布していたところ、地方局二階職員課の窓から同課職員二宮らが右無許可でビラ配布をしている状況を撮影したため、それに気付いた宇野由子が職場反戦メンバーを代表して加藤職員課長と会い、写真を撮つたのは不当であり、肖像権の侵害であるから返還してくれるよう申入れたが、同課長は無許可のビラ配布は違法であるから写真を撮らせたのであり写真を撮つたのは不当でないと主張し続けて宇野由子の要求に応じようとしなかつた。そこで、同女は再び地方局西門付近に立ち戻り、そこにいた職場反戦メンバーの者に右状況を報告し、話合つた結果、フイルムの返還を求めて地方局職員課へ行こうということになり、三三五五地方局内に入り二階職員課に行き、加藤職員課長に対し、口々にフイルムの返還を迫つたため紛糾し、同課長は直ちに退去するよう促し、午前一〇時五分ころ、柳原局長名の退去命令文を掲げて朗読したが、職場反戦メンバーの者らが退去しようとせず職員課前の廊下にいたため、同人らに対し、フイルムは検討して問題がなければ後日返還すると約し、午前一〇時二〇分ころ職場反戦メンバーの者らは引揚げた。その後宇野由子が右課長にフイルムについての返答及びフイルムの返還を何度も要求したが、地方局側からは何の返事もなかつた。
地方局側は被告人らの職場反戦メンバーが地方局に押し入つて来た日が工場従業員の休日にあたる土曜日であることが多かつたことから、前記二月二八日に続く同年三月七日もやつて来るのではないかと考え、同年三月六日当日柳原局長、総務部長及び職員課長らが高松へ会議のため出張し不在であつたので、佐野禎総務部長代理が武山将博庶務課長、井沢宏文庶務主任、明神孝友、久米川龍雄職員らを集めて対策を協議した結果、「(1)平穏に面会なり陳情申請してきた場合には所要の手続きをとらせて面会を許可するか否か佐野総務部長代理が判断する、(2)いきなり違法行為に及んだときは警告または退去命令を出す、(3)それでも庁舎内へ侵入するなど事態が非常に紛糾した場合は警察に出動要請をする」との基本方針を定め、職場反戦メンバーの庁舎内への違法な立入りを防止することとし、そのため警告班(三名)、現認班(一三名)、連絡班(一名)の三班を一応編成することとし、武山庶務課長を現場責任者と定め、三月七日は同課長の判断で職場反戦メンバーの立入禁止命令及び退去命令を出せるよう佐野総務部長代理が同課長にその権限を委譲し、また現認に必要な器具として八ミリカメラ一台、カメラ四台、録音器一台、マイク二個が準備され、玄関ホールには写真撮影用のライトも設置され、退去命令文も日付のみ空欄にして用意されていた(文面は総務部長代理の決裁を受けて地方局職員が作成した)。
二、同年三月七日(土曜日)午前八時三〇分ころ、宇野由子らの職場反戦のメンバー数名が地方局構内西門付近で、処分が不当であることを記載したビラを出勤してくる地方局の職員に配布していたところ、武山庶務課長から無許可でビラを配布するのを中止するよう警告されたうえ、局長、総務部長及び職員課長らの責任者が不在であるから交渉に来ても意味がない旨告げられ、また、地方局構内正門付近で被告人ら職場反戦のメンバー数名が同様ビラを配布していたところ、武山庶務課長から前同様に注意された。そこで、被告人は前記のフイルムを返還してくれたら帰ると言つてフイルムの返還を求めたところ、同課長は職員課長からフイルムのことについて何も聞いていなかつたので責任ある回答はできないと返答し、なおもビラ配布を続行していた被告人らに対し、地方局庁内取締規程(以下取締規程と略称する)を持ち出して来て無許可のビラ配布は右取締規程に違反するから直ちに中止するよう警告した。その後被告人、宇野由子、牧野幸二ら職場反戦メンバー一一名は地方局西門付近に集合し、午前九時ころ三列縦隊になつてスクラムを組み、男子はヘルメツトを被つて牧野幸二が吹く笛の合図に合わせて、口々に「闘争勝利」「弾圧粉砕」と掛声をかけながら、職場反戦の旗を押し立てて、地方局庁舎の外周をかけ足デモ行進した後、同日午前九時三分ころ、被告人ら一一名はそのまゝの格好で頭を下げ中腰の姿勢で地方局正面玄関から地方局庁舎内に侵入しようと突進してきたが、正面玄関の扉の外には武山庶務課長、井沢宏文庶務主任らの職員が腕を組合つて被告人ら職場反戦メンバーの侵入を阻止するため阻止線を張つており、玄関扉(中央二枚の扉のうち左側の扉は施錠されていなかつた。)の内側にも地方局職員数名が同じように阻止線を張つていたため、被告人らのうち二、三名しか庁舎内に足を踏み入れることができず押し合つていたところ、労組徳島地方本部の山下委員長がやつてきて、武山庶務課長に対し、「組合員を使うな」と抗議を申入れたが、同課長が職制でやつているなどと言い返し、口論しているうちに被告人ら職場反戦メンバーは玄関の外へ引き揚げた。その後午前九時八分ころ再び前記同様デモ行進をした後一回目と同様の格好と姿勢で正面玄関から突進してきて、今度は正面玄関扉の内側で被告人らの侵入を阻止すべく武山庶務課長ら地方局職員が前同様阻止線を張つていたのを突破し、地方局二階の中央階段の下まで押し入つて来たため、そこで再び阻止線を張つた地方局職員と押し合いを続けるうち、喧騒にわたつたため、武山庶務課長が柳原局長名のプラカードに貼付した退去命令文を示してそれを朗読し、退去を要求したため被告人ら職場反戦のメンバーはユーターンして玄関から引き揚げた。
(罪となるべき事実)
被告人は
第一、宇野由子、牧野幸二、岡茂樹、宮本吉一、坂東悟ら職場反戦のメンバー一〇名と共謀し、同年三月七日午前九時一二分ころ三列縦隊の隊伍を組み、男子はヘルメツトを被つて牧野幸二の笛を合図に口々に「闘争勝利」「弾圧粉砕」と掛け声をかけながら頭を下にさげ、中腰の格好をして、日本専売公社徳島地方局正面玄関扉(平常使用に供されている中央扉二枚のうち左側扉だけ施錠されていなかつた)に向つて突進し、同玄関内側で右地方局庶務課長武山将博ら同局職員の制止するのを排して同地方局長柳原春義管理にかかる徳島市万代町三丁目五所在同徳島地方局庁舎内に故なく侵入し
第二、同日午前九時一三分ころ、右徳島地方局正面玄関の中央階段の下から一段目付近において、同所に侵入した被告人らが更に階上に登ろうとするのを、同徳島地方局職員課職員明神孝友が同階段二階踊り場から「何しよんな帰れ」と言いながら階段下から二段目まで降りて来て、上司の命により阻止しようとしたところ、被告人は同人に対し「組合員のくせにいい格好をするな」と怒鳴りながら同人の胸ぐらを右手でつかんで強く引つ張り前後にゆさぶるなどの暴行を加え、もつて同人の前記職務の執行を妨害し
第三、右同時刻ごろ、前記中央階段下付近において被告人のそばにいた井沢宏文徳島地方局庶務主任から「明神孝友は組合員でない」と言われたため明神孝友から手を離したが、同階段下付近で同所に侵入した被告人らを排除しようとした前記武山将博の背広の襟をつかみ、同人に対し、「フイルムを返還せよ」と言つて同人にフイルムの返還を迫りながら同人の背広の襟をつかんだまま同人をそこから三米位のところの正面玄関横にすえつけられていた親時計のそばまで突き押すなどして暴行を加え、もつて同人の前記職務の執行を妨害し、
第四、同日午前九時二七分ころ、右徳島地方局二階地方局職員課前廊下において、被告人と同徳島地方局職員浜口幸三とが同年二月二八日撮影した前記フイルムの返還方につき口論となり、喧騒に至つたため、前記武山将博庶務課長が被告人らに向けて、柳原春義名義の退去命令文を貼付してあるプラカードを掲示し、かつこれを朗読して退去命令を通告しようとして、同退去命令文を朗読し始めたところ、「何んな高圧的な」と叫んでやにわにプラカードの柄を持つている前記武山将博の手首の辺りに飛びつき、右プラカードを同人から奪いとり、その場で、中腰になつて退去命令文の貼付してあるダンボール紙と柄とを別々にしてともに前記職員課前廊下のうえに投げつけるなどの暴行を加え、もつて同人の前記職務の執行を妨害したものである。
(証拠の標目)(省略)
(弁護人の主張に対する判断)
被告人及び弁護人の事実上ならびに法律上の主張は多岐にわたるが、そのうち主要な法律的問題点についてとくに判断する。
第一、建造物侵入罪(判示第一)について
被告人及び弁護人は(1)本件地方局庁舎内への立入り目的は、処分撤回と肖像権を侵害されたフイルムの返還を請求するというもので、正当であつて、被告人は徳島工場の職員であつて自己の職場に立入ることは自由になしうるのであるから、地方局当局が有効な立入禁止命令に基づく立入禁止措置をとつてはじめて立入を禁止されるのであつて、当日何ら有効な立入禁止命令は発せられておらず、かりに武山庶務課長ら職員が玄関前、玄関内及び階段付近において、手を広げたり、スクラムを組んだりしたことが立入禁止の意思の表示と解する余地があつたとしても真意のものでなく、被告人らを挑発して玄関内に誘導し、刑事、懲戒等の処分をするための証拠を収集することを目的としたものであつたに過ぎず、立入りについても被告人の立入に対し、玄関扉に鍵をかけていなかつたし、立入後階下の食堂内売店で滞留していても退去を求めていないから、立入りについても承諾があつたものであるから建造物侵入の構成要件に該当しない。
(2)仮りに構成要件に該当しても立入の態様、侵害法益の不存在等から可罰的違法性を欠くなどと主張するので判断する。
一、有効な立入禁止命令の存否について
日本専売公社徳島地方局社内取締規程(以下社内取締規程と略称する)には、社内取締管理者は地方局にあつては総務部長であり、社内取締責任者は庶務課長であること(五条、六条一項)、社内取締管理者は社内秩序を維持するため必要と認めるときは立入禁止命令を発しうること(三一条)が規定されており、前記冒頭掲記の経過で説示したごとく当日は地方局の局長、総務部長、職員課長が不在であつたのであるから地方局社内取締管理者は佐野総務部長代理であつて(日本専売公社徳島地方局処務細則六条、七条一項)、同人は本件現場には立会わず総務部長室において執務をしていたことが認められ、右事実からすれば社内取締管理者の佐野総務部長代理が現場に立会つていない以上、立入禁止命令を発しうる要件である社内秩序を維持する必要があるか否かを判断しえず、従つて同人が立入禁止命令を発することがありえないといえるかも知れない。しかしながら、前記冒頭掲記の経過の一で説示したとおり、三月六日佐野総務部長代理主催のもとに職場反戦メンバーの地方局庁舎内侵入行為のあることを懸念して武山庶務課長、井沢、蔵内両主任、明神、浜口、久米川ら労務担当職員らが出席して対策会議が開かれ、協議のうえ基本方針が決定され、その際当日局長、総務部長、職員課長ら地方局の幹部が出張不在であつて、総務部長代理は他に重要な用務があつて現場に立会うことができないことから、当日の現場責任者を武山庶務課長とし、同課長に対し、同課長が立入禁止の必要ありと認めたときには職場反戦メンバーに対し立入禁止命令を発しうることとし、その権限を委譲したものであり、右権限の行使として判示のとおり職場反戦メンバーの者が隊伍を組んで、男子はヘルメツトを被り、牧野の吹く笛の合図に合わせて掛け声をかけながら玄関入口から突進してきた際、社内秩序を維持するため、かつ、対策会議での基本方針として定めた第一段階の平穏な侵入と認められないことから立入禁止の必要ありと判断し、他の地方局職員らとともに玄関入口の内側で地方局庁舎内に侵入しようとする被告人らに対し手を広げたり、スクラムを組んだりして立入禁止の意思を表示していたものであることが認められ、右事実からすれば立入禁止の措置がとられていたことは明らかである。それが職場反戦メンバーの最初の侵入に対してしたように、正面玄関入口扉の外でなく内側で阻止線を張つていたものであつたとしても、それは玄関入口扉外側にいて押し合いになり玄関入口扉のガラスが破損したりして人身損傷が生ずることをおそれたものであつて、これをもつて職場反戦メンバーを地方局庁舎内に誘導したものとか立入について承諾を与えたものとは認められない。ところで、弁護人は社内取締管理者である総務部長代理が総務部長室にいて同人に何ら事故もないのに立入禁止命令を発しうる権限を武山庶務課長に委譲したのは違法であると主張するので特にこの点についても判断するに、三月六日の対策会議において充分協議が尽されて基本方針が決定され、佐野総務部長代理には総務部長室にいて他の重要な用務をとらねばならなかつたことから、武山庶務課長に自己の判断によつて基本方針に従つて職場反戦メンバーに対し立入禁止命令を発しうる権限を委譲したものであつて委譲されたものも、社内取締責任者たる地方局の武山庶務課長であつて、社内取締規定の運用判断についての専門家でもあつて、権限を濫用したり、誤つて行使されるおそれのない立場のものであることなどを考慮すると、この程度の権限の委譲は許されるべきであつて、処務細則の規定に違反しないものといわなければならない。よつて有効な立入禁止措置がなされていたものというべきである。
二、可罰的違法性を欠くとの主張について
第一〇回公判調書中の証人加藤等の供述部分、第一六回公判調書中の証人近藤匡徳の供述部分、第一九回公判調書中の証人田村(旧姓宇野)由子の供述部分及び被告人の当公判廷における供述によれば、前記冒頭掲記の経過の局長交渉のくだりで説明したごとく、柳原地方局長から処分撤回は団体交渉の対象でないので不服があれば苦情処理調整会議に申出るよう教示されているが、苦情処理調整会議とは支部、地方局、本庁に設けられるものであつて、地方局支部では総務部長、職員課長、地方部労組委員長、同副委員長が構成員であり、作業条件に関する職員の苦情を聞いたり、降職等の懲戒処分に関することについて協議するため臨時に設けられる機関(公共企業体等労働関係法一二条及び苦情処理に関する労働協約に基づくもの)であつて、決議には労使の意見の一致が前提となつているものであるが、岡、坂東及び宮本の三名は過去懲戒処分について苦情処理された実例がなかつたことからあえて申立てはしなかつたこと、組合も当初は処分撤回闘争をしないというだけで、被告人ら職場反戦メンバーの活動を静観していたが、昭和四五年二月末ごろからは組合員に対する情宣活動を妨害するようになつたこと、昭和三九年の佐世保市での原潜寄港反対デモ、昭和四三年の徳島市内での樺美智子の追悼デモに参加し逮捕勾留され新聞に報道された者もあつたが、地方局はそれらの者に対し何ら処分せず不問にしていたこと等の事実からすれば、岡茂樹、坂東悟、宮本吉一らの処分を受けたものが、その処分の撤回を求めて苦情処理調整会議に不服を申立てても意味がないと判断したとしても、充分理解できるうえ、内部的に解決しようとして処分権者である柳原局長と直接交渉してその処分の不当性を訴えようとして岡茂樹、坂東悟、宮本吉一ら三名の処分されたものだけでなく、それを応援するため十数人のものが一緒に団結して柳原局長との交渉を求めたとしても決して非難されるべきものでない。またフイルム返還についても、第一九回公判調査中の証人田村(旧姓宇野)由子の供述部分によれば、徳島地方局及び同徳島工場において勤務時間外のビラ配布活動の主体が労組であれ、工場内のサークルであれ、政治団体であれ、これらに対し警告したり地方局係員から写真撮影をされるようなことなどは殆んどなかつたし、一度写真撮影をされたことがあつたときも、組合員立会のうえでそのフイルムを感光させて放棄させたことのあつたこと、ところが、過去何回となく無許可のビラ配布が地方局の職員就業規則(以下就業規則と略称する)に違反するとして中止するよう警告したのにもかかわらず、再三に亘たり、地方局構内において宇野由子らの職場反戦メンバーがビラ配布活動を行つていたため、地方局は二月二八日地方局二階の職員課の窓からビラ配布活動中の宇野由子らを写真撮影させたこと、その後の同人らとの交渉で加藤職員課長がフイルムを検討し問題がなければ返還すると約束したがその後何の回答も宇野由子らは受けていないことが認められる。これらの事実は既に冒頭掲記の経過のところで説明したとおりであるが、右事実からすれば、承諾なくビラ配布活動を繰返している宇野由子ら職場反戦メンバーのものを当局側が写真撮影したこと自体違法な行為を現に行なつている者としてその証拠保全のため、比較的遠距離から撮影したものであつて直ちに肖像権を侵害する違法なものであるとまではいいえないが、組合員個人個人に対する協力応援を求めるためのビラ配布が情宣活動として最も重要な機能を有するものであり、他面地方局当局側に対する抗議ないし、示威運動を併せ有するものであつて有効かつ常套的手段であつたことや、地方局においては過去においても写真撮影をしたことは殆んどなかつたことなどから、宇野由子をはじめ職場反戦のメンバーが加藤職員課長と直接交渉し、同課長がフイルムについて検討して返答するとの約束をしたため、その回答を得べくその後も交渉を続けていたものであるが、かりに右フイルムによつて職場反戦メンバーの者が何ら処分を受けなかつたとしても、もつぱら活溌な活動分子として当局側に目星をつけられ、人事上不利益な扱いを受けるおそれがないともいえないから、宇野由子らの写真撮影をされたものだけでなくそれらの者を応援しようとして被告人ら職場反戦メンバーが、地方局側のその後のフイルムに関する不誠実な態度を訴え、その返還を求めて当局側と交渉しようとしても決して責められるべきものではない。以上の次第であるから被告人らの地方局庁舎立入の目的は正当なものであると判断することができる。ところで人の看守する建造物に立入る所為が住居侵入罪を構成するかどうかは、立入目的だけでなく、その必要性、手段、態様、場所的関係、立入つた者と建造物看守者との社会的身分的関係などの諸要素を相関的に衡量評価して決定しなければならないが、前記冒頭掲記の経過のところで詳述したように、当日朝被告人らが侵入行為を開始する前に武山庶務課長は被告人及び宇野由子らに対し、当日は局長、総務部長、職員課長らの責任者が出張不在であるから交渉に来ても無駄であると言つたこと、当日地方局では多数の職員が勤務中であつたこと、局長交渉を求めるには職員課長なり秘書を通して事前に所定の手続きを取るべきことを教示されていたこと、被告人らが隊伍を組んで男子はヘルメツトを着用し、笛を合図に掛け声をかけながら地方局庁舎内へ侵入しようとしたこと及び同庁舎内に侵入したことに対し、武山庶務課長ら地方局職員から立入りを阻止され、柳原局長名義の退去命令文が出され、朗読されたため、被告人らが退去したこと等の事実が認められるのであるが、右事実から判断するに、被告人らは過去局長交渉に至るまでの地方局側の不誠実な態度から武山庶務課長の前記言辞を直ちに信用せず、責任者との交渉を求めて庁舎内へ侵入したものであるが、それならまず、武山庶務課長の言うように責任者が不在か否かについて被告人らのうちから代表を出して平穏裡に庁舎内に入つて確認し、庁舎内立入の目的を地方局側に充分説明して、当日が不都合なら他日交渉できるよう約束をとりつけるなど他にとるべき余地があるのであつて、退去命令を出されて退去しながら再び同じ格好で多数人のものが地方局庁舎に執ように侵入しようとするなどの行為は差し控えるべきであつて、地方局側が被告人らの態度を単なるいやがらせと理解したことも無理からぬものがあるといえる。
以上の次第であつて被告人らの行為は違法であり判示のとおり建造物侵入罪が成立すると解する。
第二 明神孝友及び武山将博に対する公務執行妨害罪(判示第二、第三)について
被告人及び弁護人は両名の当日の立入阻止行為は前述したように適法な立入禁止命令の発せられていない以上適法なものでなく、かりに両名の職務権限に基づくものであつたとしても、被告人らを刑事及び懲戒処分を受けさせることのみを目的としてなされたものであつて権限の濫用であり、保護されるべき公務ではない。また被害の程度も軽微であるし、両名に積極的に危害を加え、あるいは業務を妨害することに向けられたものでなく、高圧的態度に対する抗議を求める意思の表現の一型態であつて公務執行妨害罪でいう有形力の行使ではないと主張するので判断する。
明神孝友が地方局の労務担当の職員であつて、前記三月六日の対策会議に出席し、当日上司の命により武山庶務課長とともに被告らの階上への侵入を阻止しようとする公務に従事していたものであること及び武山庶務課長の発した立入禁止命令が有効であることは既に認定したところであり、明神孝友がその職務権限を濫用したものであることを認めるに足りる証拠もないから、同人の公務は保護されるべき適法な公務であることは明らかである。次に第六回公判調書中の証人武山将博の供述部分、第一三回公判調書中の証人井沢宏文の供述部分、第八回及び一四回公判調書中の証人明神孝友の各供述部分、被告人の当公判廷における供述によれば、武山庶務課長とともに被告人ら職場反戦メンバーの階上への立入りを阻止すべく押し合つていた地方局職員の一人が被告人らに押されて倒れそうになつたのを見て同階段二階踊り場のところで写真撮影をしていた明神孝友が同人を応援すべく階段下から二段目位まで来て、被告人らに対し上司の命により阻止態勢に入つたところ、被告人から「組合員のくせにいい格好するな」と言われて事務服の襟をつかまれ、地方局の井沢庶務主任がきて「明神は組合員でない」などと二回程叫んで被告人が手を離すまでの間約三秒程前後にゆさぶられ、そのため同人の着ていた事務服(昭和四八年押第七号の一〇)のフアスナーの止め金が右側上から一五センチメートル位のところ五ミリ位、左側一四、五センチメートル位のところ二ミリ位に亘つて歯がかけ、止め金が右から左に移つてチヤツクが開いたため、事務服の前の方をつかんで階段を昇つて行つたことが認められ、右事実からすれば、被告人の暴行の程度は到底軽微なものとは認められず、同人の公務の執行を妨害するために同人の身体に加えられた有形力の行使であり、またその間同人の前記職務の執行が妨害されたことは明らかである。次に、第九回公判調書中の証人久米川龍雄の供述部分、第一三回公判調書中の証人井沢宏文の供述部分、第五及び六回公判調書中の証人武山将博の供述部分、被告人の当公判廷における供述によれば、武山庶務課長は階段下から三メートルもある玄関横の時計台のところまで被告人に背広の襟をつかまれたまゝ同課長をとり囲んだ数人の職場反戦メンバーとともに口々に「フイルムを返せ」と言われながら押しやられ、井沢主任がやつて来て被告人の手を離させたものであること、このころ職場反戦メンバーのものらが三三五五階上に上つて行つたこと被告人に対しては同人が地方局庁舎内に侵入する前に、職員課長が不在であるし、フイルムについては何も聞いていないので責任ある回答はできないと言うていたことなどの事実が認められ、右事実からすれば被告人が多少興奮しているうえ、被告人一人の力で武山将博を押していつたものでなかつたとしても、抗議の言葉として付随的になされた程度のものということは到底できず、被告人の行為は有形力の行使であつて井沢主任がきて、被告人の手を離させるまでの間同人の前記職務の執行を妨害していたことは明らかである。従つて、明神孝友及び武山将博に対し、判示第二、第三のとおり公務執行妨害罪は成立すると解すべきである。
第三 武山将博に対する公務執行妨害罪(判示第四)について
被告人及び弁護人は武山庶務課長の発した退去命令は適法なものでなく、被告人らが地方局職員に説得を続けている際に、突如として武山庶務課長が退去命令文を出して朗読し始めたが、被告人は同課長が本件におけるように事前に被告人らに対し何らの説得行為もなさず直ちに退去命令の掲示、朗読という挙に出たので、これを思いとどまらせるためという目的を有していたに過ぎず、被告人は退去命令文を貼付したプラカードの柄とダンボールを別々にして廊下に投げつける必要もなく、そのようなことはしなかつたものであり、プラカードを降ろさすため武山課長の腕を押えただけであり、仮りに被告人の行為が公務執行妨害の構成要件に該当するものがあるとしても、侵害された法益は存在しないかもしくは軽微なものであつたのであるから可罰的違法性を欠くと主張するので判断する。
第一三回公判調書中の証人井沢宏文の供述部分、第一一回公判調書中の証人浜口幸三の供述部分、第五及び六回公判調書中の証人武山将博の供述部分、被告人の当公判廷における供述、押収してある竹竿(昭和四八年押第七号の八)及びダンボール紙(同押号の九)によれば、井沢主任がやつて来て被告人の武山将博の背広の襟をつかんでいた手を離させてくれてから急ぎ二階に上つた被告人に続いて武山庶務課長も二階に上つたが、既にそのころには職場反戦メンバーの者らも相当数二階に上つていて二階職員課前の廊下のところで地方局職員と対峙した格好になつていたが、そこへ武山庶務課長が加わつたため、被告人らが「フイルムを返還せよ、職員課長を出せ」などと叫び、武山庶務課長はフイルムについては何の引継も受けていないし、職員課長も不在であるから帰るように繰返すのみであつたため、被告人らはますます興奮し声高に話すようになつたので、武山庶務課長が退去命令文をとりに行き、地方局職員課の浜口幸三がとつて代わり、「就業規則や取締規程を守つてやれ違法不当な行為の証拠保全のため写真撮影したのであつて、乱入するのはやめ」など言い、ビラ配布が就業規則一四条によつて地方局の許可がいるのである旨説明したところ、被告人らが「肖像権の侵害だ」、「加藤職員課長はフイルムを返還すると言つた」などとますます声高に叫び喧騒にわたつたことから、武山庶務課長は職場反戦メンバーの委員長の宇野由子がそばにいたので事態を静めるよう言つたが、同女が「こんな険悪な状態の雰囲気になつたら私の手に負えん」と返答したことから、武山庶務課長は地方局職員課の浜口幸三の後方二メートル位のところで退去命令文を高く持ち上げ、被告人らに示し、退去命令文を朗読し始めたものであることが認められる。右事実からすれば武山課長が右状態を取締規程三二条に規定された業務妨害、放歌高唱、多数集合等について規定した七乃至一〇及び一二号に該当すると判断して退去命令を出したものであつて、委員長の宇野由子さえ事態を静めることができず何ら手を打とうとしない以上、退去命令を出し被告人らに知らせて退去を求める以外方法がなかつたというべきであり、退去命令を出す必要性は充分認められ、武山庶務課長が当日退去命令を出す権限を適法に佐野総務部長代理から授権されていたことは、立入禁止命令のところで詳細に認定したところと同じ理屈であるから、武山庶務課長の出した退去命令は有効であつたと認めることができる。次に被告人の行為についてみるに、前記証拠によれば、被告人は午前九時二七分ころ、武山庶務課長の退去命令文朗読の途中突如として「何んな高圧的な」と叫んで武山庶務課長のプラカードを持つている手の辺りに同人の前にいる地方局職員七、八名をかき分けて飛びつきプラカードを奪いとつたうえ、中腰の姿勢で退去命令文を貼付したダンボールと柄とを別々にひきちぎり、ともに職員課前の廊下に投げ捨てたものであること、退去命令文はダンボールに竹の柄をこより様のひもで中央三ケ所結びつけられ、ダンボールの上に三枚位の退去命令文が貼付され、四隅にセロテープで貼付されたものであるが、その柄だけが総務部長室の前辺りまで廊下を滑つていつたことが認められ、被告人の右行為は退去命令文を周知させて、被告人らを退去させるという、武山庶務課長の行為を妨害するために、同人に向けられた有形力の行使であつて、その行為により武山庶務課長の公務が妨害されたことは明らかであつて、被告人、弁護人の右主張は到底採用し難いものである。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は刑法六〇条、一三〇条前段、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六条に、判示第二乃至第四の所為は同法九五条一項に各該当するところ、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪なので同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重いと認める判示第四の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役四月に処し、情状により同法二五条一項一号を適用してこの裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して被告人にその全部を負担させることとする。
よつて主文のとおり判決する。